第2回:30代・40代は「変革のスイッチ」である
一橋大学大学院教授である清水千弘先生からご寄稿いただいた、「AI・技術進歩は、日本経済・不動産市場にどのような影響をもたらすのか?」をテーマとしたコラムを連続で配信します。
本稿は、以下の論文をわかりやすく解説したものになります。
Chihiro Shimizu and Valentin Zelenyuk (2026),"Regularized Estimation of High-dimensional Flexible Functional Forms: A Rank-expansion Approach with a Macroeconomic Application"
次章以降については、2026年8月以降に配信を予定しています。
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第1回:少子化と日本経済
清水千弘
一橋大学大学院教授・都市空間不動産解析研究センター長
1. 労働力は「ひと塊」ではない:年齢による役割の「非対称性」
これまでの経済分析の多くは、労働力を一つの大きな「塊」として扱ってきました。しかし、現実の企業経営において、新入社員とベテラン部長が同じように扱われることはありません。本研究が明らかにした最大の発見の一つは、年齢層によって「他の資本や土地といった生産要素との入れ替えやすさ」が劇的に異なるという、「世代間の非対称性」です。
私たちの分析では、日本の労働力を「29歳以下(若年層)」「30代」「40代」「50歳以上(高齢層)」の4つのグループに分けて計測しました。その結果、賃金の変動に対して最も敏感に反応し、経済全体の生産構造に広範な影響を及ぼすのが、30代と40代の「働き盛り世代」であることが分かったのです。
例えば、あるIT企業で30代のエンジニアの賃金が高騰したとしましょう。経営陣は「彼らをそのまま雇い続けるか、あるいは最新のAI開発ツールを導入して少人数で回すか、はたまた未経験の若手を育成して補うか」という、激しい選択(代替)を迫られます。この「選択のダイナミズム」が、30代・40代において最も強烈に機能しているのです。
2. 30代賃金上昇が引き起こす「需要の玉突き」:流動性の起点
特に注目すべきは、30代の賃金が上昇したときの企業の反応です。データによれば、30代の賃金が1%上昇すると、企業は30代の雇用を抑制する代わりに、他の世代への需要を急激に強めます。
- 若手(29歳以下)へのシフト:代替弾力性 3.1
- ベテラン(50歳以上)へのシフト:代替弾力性 2.0
この「3.1」という数値は、全世代・全投入要素の中で際立って高いものです。 事例: 30代の中堅社員の人件費が相対的に高くなると、企業は「将来性のある若手を抜擢して権限を委譲する(若手への代替)」か、あるいは「豊富な経験を持つ再雇用者やベテランに現場のマネジメントを頼る(高齢者への代替)」という調整を、他の世代の時よりもはるかにダイナミックに行います。
いわば、30代の賃金は、労働市場全体のバランスを組み替える「玉突き事故」の起点のような役割を果たしています。この層の賃金が動くことで、眠っていた若手の抜擢や高齢者の活用が連鎖的に引き起こされるのです。
3. 初任給アップが「中堅の価値」を問い直す:迫られる再評価
昨今、大手企業を中心に「初任給の大幅な引き上げ」が相次いでいます。本章の文脈でこれを考えると、非常に興味深い未来が見えてきます。 論文のデータでは、初任給(29歳以下の賃金)が上がると、30代・40代への需要シフトが起きることが示されています。
これまでは「若手は安価で使い勝手の良い労働力」として重宝されてきました。しかし、初任給が30万円の大台に乗るような時代になれば、企業はこう考えます。「これだけ高い給料を払うなら、若手にルーチンワークをさせておくのはもったいない。それなら、よりスキルの高い30代・40代を徹底的に活用し、付加価値の高い業務に集中させよう」と。
つまり、初任給の上昇は、単に若手の待遇を良くするだけでなく、中堅層に対して「高くなった若手以上の価値を本当に出せているか?」という厳しい再評価を迫ることになります。中堅層は「経験がある」というだけで安泰ではなく、若手のコスト上昇を上回る圧倒的な生産性、あるいは「AIを使いこなす能力」を証明しなければならなくなっているのです。
4. 50代以上が抱える「代替不可能」というリスク:硬直化の罠
一方で、50代以上のベテラン層には、これとは全く異なる風景が広がっています。 驚くべきことに、50代以上の賃金が上がっても、企業は若手(29歳以下)への代替をほとんど行いません。弾力性は -0.4 とマイナスの値すら示しています。
これは一見、ベテランが「守られている」ように見えますが、実態はより深刻なリスクを孕んでいます。 事例: ベテラン層が持つ「社内独自の調整能力」や「特定の顧客との長年の人間関係」は、一朝一夕に若手に引き継ぐことができません。そのため、彼らの賃金が上がっても、企業は他の労働力で補うことができず、ただただコスト増を受け入れざるを得なくなります。
「代わりがきかない(代替が効かない)」ということは、賃金上昇が組織のコスト構造をダイレクトに硬直化させることを意味します。この「高齢者の代替の難しさ」こそが、日本企業がシニア層の処遇改善に慎重にならざるを得ない構造的な要因です。高齢者の活躍を促すには、若手・中堅層の賃金アップによる活性化とは全く異なる、役割の再定義やスキルの形式知化といった別のアプローチが必要なのです。
5. 経済を動かす「3.5」という数字:DXへの最終スイッチ
第1章で触れた「機械化」との関係においても、やはり30代が主役です。30代の賃金上昇が「機械化(ICT資本など)」を促す力(弾力性)は、最新のデータで 3.5 に達しています。これは、本研究が扱うすべての投入要素の中で最も強い反応です。
日本の生産技術をアップデートし、DX(デジタルトランスフォーメーション)を本気で進めるための「真のスイッチ」は、実は30代の処遇にあります。 30代を高く評価し、賃金を引き上げる。すると企業は「この高い人件費に見合うだけのテクノロジー(AIや自動化システム)を導入しなければ採算が合わない」という強烈なインセンティブに突き動かされます。
この「高賃金」→「テクノロジー導入」→「生産性向上」というポジティブなサイクルこそが、日本経済の「稼ぐ力」を再生させる最短ルートであることが、50年間にわたる膨大なデータによって証明されたのです。
本稿のまとめ
- 30代・40代は、他世代や機械との代替が最も活発に行われる「経済の心臓部」である。
- 初任給の上昇は、中堅層の生産性向上を促す強力なプレッシャー(刺激)として機能し、組織全体の付加価値を高める。
- 50代以上は代替が効きにくいため、賃金上昇が構造改革につながりにくい「別個の課題」として、特有のマネジメントが必要である。




