完備契約は必要か-少額取引まで契約書はいる?
経済学から見た不動産市場(第16回)
浅田義久
日本大学経済学部教授
某芸能事務所が芸人の人たちと契約書を交わしていなかったと問題になっています。
みなさんは,雇用先との契約書をお持ちでしょうか。私の手元にはないようで・・・
日本では借家契約に関しては賃貸借契約書という数頁の契約書が取り交わされます。そして,ご存じのように契約締結時には重要事項説明が必須になっています。娘が借家に入るときに私も重要事項説明を受けましたが,明らかに私の方が知識は豊富で困ってしまった。同様に,銀行で定期預金を作る際も重要事項説明を受けますが,私は金融論も開講していたことがあり・・・・・,機会費用を考えて欲しい。
米国では借家契約でもかなりの分量の契約書が交わされますが,借家の規模によって異なっています。
以前,モラルハザードの説明の際にお話ししましたが,このような借家契約は契約後に借家人の行動が変わることをモラルハザードといい,これを防ぐためにも契約が必要になります。
例えば,借家の場合では家賃を滞納したり,借家を必要以上に汚したり,騒いで隣人に迷惑をかけたりしないように借家契約を行い,敷金も担保として設定しています。
ここでは,モラルハザードによるコストと契約のコストを比較する必要があります。モラルハザードのコストは,契約後に上記のように家賃の滞納や部屋を汚く使ったために発生する補修費なので,契約のコストは契約書を締結するコストや後述するように違反した場合に罰するために要するコストです。モラルハザードによるコストが契約のコストより大きい場合は,細かい契約書を作る方が良くなります。
モラルハザードが起こらないように,契約前に起こりうる全ての事象に対応できるような契約を完備契約といいます。アメリカのメジャーリーガーはかなり細かい契約を締結しているようです。
ところが,今年のメジャーリーグでは高年俸なのに酷い成績の打者と投手が問題になっています。どうやら,モラルハザードは起こってしまっているようなので,球団にとってはよい契約ではないようです。
では,借家契約ではどのような契約を行えば良いのでしょうか。規模の小さい借家ではモラルハザードによるコストはそれほど大きくないので契約コストを大きくする必要はありません。ところが,規模が大きくなると契約コストの方が高くなってしまいます。
完備契約に代わってモラルハザードを防ぐ方法として,借家人の行動をモニターする方法もあります。管理人を置くという方法です。これにはモニターコストがかかり,これもモラルハザードによるコストとモニターコストのどちらが高いかで決まってきます。
これら契約コスト,モニターコストを経済学ではエージェンシーコストといいます。規模が大きくなると借家のエージェンシーコストが大きくなり,持家の方が効率的になります。このように,エージェンシーコストと固定費用によって持家・借家のテニアチョイスが決まってきます。
さて,前述の某芸能事務所の場合,芸人のモラルハザードに対抗するために全芸人と契約書を締結するのが効率化というと上記のように,モラルハザードによるコストが低い場合はちゃんとした契約書を締結する必要が無いということになります。
ただし,事務所によるホールドアップ問題という別の問題が出てきます。この点は,また別の機会にお話しします。
もう一つ重要なのは,契約違反した時にちゃんと罰するかというコミットメントがあるかということです。
他国は分かりませんが,日本の法律は曖昧なものが少なくありません。定期借地・借家法導入の際にも経済学者と法学者が議論を交わしましたが経済学者は曖昧なコミットメントには反対していました。その他の法律として,建築基準法が守られていないことは知られていますが,道路交通法を破ったことがない人はいるのでしょうか。
これでは,契約書を交わしてもリスクをヘッジすることはできません。しかも,何故か日本では家主は裕福で借家人が低所得者という誤った常識があるようです。実際は,借家の家主の所得はそれほど高くありません。
さて,私は民間企業1社,第三セクター1社,教育機関3校に雇用されてきましたが,手元に契約書がありません。それに,直営業(闇ではありません)の非常勤講師も沢山やってきましたが,契約書がありません。あっ結婚の契約書も・・・・。
私はモラルハザードを起こしていたのか,そろそろ回顧すべき年齢かも。