分配と配分、資本主義って経済学者の皆さん知ってる?
経済学からみた不動産市場(第39回)
浅田義久
日本大学経済学部教授
あけましておめでとうございます。今年も定年間近の経済学専攻者としてコラムを担当したいと思います。
さて、昨年10月4日に岸田内閣が発足し、10月末に行われた衆議院選挙でも与党が過半数の議席を守りました。岸田新首相は選挙公約として労働分配率を上げ、「新しい資本主義」を実現すると宣言しています。「新しい資本主義」に関しては後で疑問を呈しますが、まず、資源配分(allocation)と所得分配(distribution)の違いを説明しましょう。
資源配分とは、限りある資源、例えば労働や土地、資本(資本については後述しますが、機械や建物、土地などと考えてください)を何に使うかというものです。これは資源の賦与分や技術的要因、需要などによって市場で決定されます。所得分配は生産された付加価値が賃金として労働者に分配されるか、利子として資本に分配されるかで、これも技術的要因などで、市場で決まります。一般均衡で決まるので、私のようなちょっと経済学を囓った程度では分からない非常に難しい話です。
さて、市場で決まった所得分配に公平性がないと国民が考えれば、政府は所得再分配をする必要があります。これは所得再分配であり、資源配分、所得分配が決まる市場を歪めるものではありません。
ところが、岸田首相が唱える労働分配率の上昇は、市場に直接介入して労働分配率を上げるというものです。まず、恐ろしいのは、”神の見えざる手”より岸田の見える手の方が上って事ですか?まあ、ジョークですが、実際にアダムスミスが”神の見えざる手”って言ったかも知りません。そんなこと知らずに良く経済学専攻者って名乗るなって言われそうですが『国富論』が出たのは1776年です。では、お医者さんたちは前野良沢の『解体新書』を読んでますか?これも1774年発行なのでほぼ同じ時代です。経済学もどんどん進化しているので、古典から読んでいては新しいものについて行けません。
さて、話を戻すと、当たり前ですが、労働分配率を上げるということは資本分配率を下げるということです。資本分配率を下げるためには、利子や地代などを下げるか資本投入量を下げる必要があります。すると、日本が比較優位を持つ機械産業に負担をかけることになりますし、不動産市場にも大きな影響を与えます。市場は完全ではなく、”市場の失敗”も起こっていますが、”政府の失敗”にも十分に気をつけるべきです。まあ、今回の税制改正大綱をよむと大して影響が無さそうなので安心していますが、本当に市場に手を突っ込もうとしたんでしょうか。税制改正は不動産市場に影響を与えますので、追って分析していきます。
次に、「新しい資本主義」ですが、これは全く分かりません。経済学の教科書に「資本主義」って出てきますかね。一部のヨーロッパやアメリカのように市民革命が起こった国では、その過程で巨大な資本家が誕生しましたし、その後も富の偏在も進んでいますので、その弊害を検討するのは良いと思います。
ところが、日本は戦後、財閥解体や農地解放が強制されたので巨大な資本家ってどこにいるんでしょう。日本の資本主義って何でしょうかね。まあ、政府が鳴り物入りで設置した「新しい資本主義実現会議」の有識者構成員には「青天を衝け」の主人公のご子孫は入っていますが、経済学者は1人ですから、経済学的検討はしないってことでしょうね。
今回痛感したのは経済学教育が不足していることです。今年度から高校で金融教育が始まります。小学校、中学校では既に始まっています、本当に金融教育がなされているか不安です。現在の大半の公民科の教科書の経済学の箇所はちょっと古すぎます。また、経済学が暗記科目とか文系の科目と言われて大学に入ると学生が戸惑ってしまいます。まして、小学校から高校までの教員がちゃんと金融論を教えることができるかも不安です。割引現在価値とかってちゃんと教えることができますか?
教育は前述の賃金と深く関係しています。賃金を上げるためには、労働分配率を施策で上げるのではなく、労働生産性を上げることで達成すべきです。そして、そのためには人的投資が必要でこれが教育です。以前お話ししたように、日本の高校生のPC使用率はOECDで最低です。また、大学生の勉強時間はアメリカの半分以下です。これを何とかしないと労働生産性は上がらないでしょう。
私的なことですが、学部時代に指導教員から金融論は最先端で賢い研究者しか残れないと言われたので都市経済学を専攻しましたが、モデルを作ると金融も使うので手は抜けませんでした。