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第三章 東京の住宅市場の長期均衡と期待主導構造

 前回に引き続き、一橋大学大学院教授である清水千弘先生からご寄稿いただいた、東京における住宅価格の高価格化構造をテーマとしたコラムを連続で配信します。
 分割しての配信であり学術的側面も含みますが、非常に興味深い内容となっていますので是非最後までご覧ください。

 以下は全体の章立てとなります。
第一章:東京のマンション価格はバブルか?
第二章:ユーザーコスト理論・厚生一貫的指数理論・バブル必然理論の統合
第三章:東京の住宅市場の長期均衡と期待主導構造

 以降の章については、2026年1月以降に順次追加・掲載予定となっています。

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第三章 東京の住宅市場の長期均衡と期待主導構造

清水千弘
一橋大学大学院教授・都市空間不動産解析研究センター長

本章では、前章で示した理論的枠組みすなわち、住宅価格が金利・家賃・期待・制度によって形成される「構造的高価格均衡」を、実証データに基づいて検証する。対象とするのは、19861月から20259月までの約40年間にわたる東京の住宅市場である。分析の目的は二つある。第一に、住宅価格・家賃・金利の三系列が長期的に安定した均衡関係を持つかどうかを明らかにすること。第二に、短期的にはどの要因が価格調整を主導しているのかを確認することである。

データは、リクルート住宅価格指数(RPPI)、総務省の消費者物価指数(CPI)のうち家賃指数、日銀統計による長期プライムレートを基礎とした住宅ローン金利、住宅投資や再開発件数を反映する補足変数を用いた。これらをすべて月次系列に変換し、家賃・価格・金利の対数値の関係を比較する。期間は1986年に設定した。

長期のトレンドを単純に可視化すると、三つの時期的特徴が明瞭に現れる。第一は、1986年から1991年にかけての急上昇期である。この時期、住宅価格は月平均で1.5%上昇し、家賃も緩やかに上昇した。金利は当初低水準にあったが、1989年の金融引き締めにより上昇し、その後バブル崩壊に伴い再び低下した。第二は、1992年から2001年の長期下落期である。不良債権処理と地価下落が進み、価格は年率で平均35%下落した。家賃は硬直的で、ほとんど変化しなかった。第三は、2002年以降の再上昇期である。都市再生特措法の施行以降、再開発が活発化し、低金利と相まって価格は再び上昇に転じた。特に2013年以降、アベノミクスの量的・質的金融緩和のもとで住宅価格は上昇を続け、2025年に至るまで下落の兆しは見られない。

これらの時系列を統計的に検証すると、住宅価格・家賃・金利の三変数には長期的な「共和分関係」が存在することが確認された。共和分とは、三つの系列がそれぞれ単独では変動しても、一定の比率で動くことで長期的に安定した関係を保つ現象を指す。換言すれば、住宅価格は家賃と金利に対して長期的に整合的なバランスを維持しているということである。これは、理論で想定した「構造的高価格均衡」が現実に成立していることを意味する。特に、価格と家賃の間には強い結びつきが見られたが、金利が低下した時期にはその均衡比率が上方にシフトしている。

これは、低金利が「期待を織り込んだ新しい均衡点」を押し上げたことを示している。

短期的な価格調整を検証するために、誤差修正モデルを用いた。この分析によって明らかになったのは、住宅価格の変動が家賃や金利の変動よりも先行しているという点である。すなわち、短期的なショックが生じた際、価格がまず動き、数か月から半年遅れて家賃が反応する。この「価格先行・家賃遅行」のパターンは、過去40年間にわたり繰り返し観察された。特に、都市再開発が集中した2000年代以降にこの傾向が顕著になった。価格は期待を先取りして動き、家賃はそれを事後的に反映する。まさに、住宅価格が「未来の反映」であり、家賃が「現在の現実」を表すという構造が定量的に確認されたのである。

ここで注目すべきは、金利と期待の非対称的な影響である。過去40年のデータを用いた推計によれば、金利が0.5%上昇すると、住宅価格の比率(家賃に対する倍率)は約18%下落する一方で、将来値上がりするという期待が0.5%高まると、住宅価格は約30%上昇する。つまり、期待の影響は金利の1.6倍に達する。この結果は、住宅市場が金融政策よりも心理的要因に敏感であることを示している。金利を操作しても、将来の都市成長や再開発への信頼が維持される限り、価格は下がらない。金融政策の効果が限定的である理由がここにある。

次に、反実仮想分析を通じて、金利変化と期待変化の効果を比較した。過去40年の平均的な経済環境を前提に、金利が0.5%上昇した場合と、将来価格上昇への期待が0.5%上昇した場合のそれぞれについて、住宅価格と家賃の反応をシミュレーションした。結果は明確であった。金利上昇シナリオでは、住宅価格が一時的に約20%下落するが、3年後には再び上昇に転じる。一方、期待上昇シナリオでは、価格が初期段階で急上昇し、その効果が5年以上持続する。家賃の反応はさらに遅く、期待上昇の3年後から上昇が顕著になる。
この非対称性は、住宅市場のダイナミクスを端的に表している。金利は短期的な調整要因であるのに対し、期待は長期的な均衡を形成する。

この分析結果を19801990年代の政策文脈に重ね合わせると、政策効果の本質がより鮮明になる。1980年代、プラザ合意後の円高対策として行われた金融緩和が、住宅価格の上昇を引き起こしたことはよく知られている。だが、それ以上に重要なのは、この時期に形成された「住宅価格は必ず上がる」という社会的期待が、その後の世代にまで受け継がれたことである。バブル崩壊後、地価は長期にわたって下落したが、人々の根本的な価値観――「住宅は資産である」「東京の地価は下がらない」――は崩れなかった。この価値観が、低金利期に再び住宅市場を上昇軌道に乗せる原動力となった。

1990年代には地価税、土地基本法、都市計画法の改正などが相次ぎ、投機抑制の枠組みが整えられたが、同時に住宅金融公庫の低利融資や住宅減税政策が続けられた。これらの政策は、住宅の投資性を弱めるどころか、家計にとっての所有インセンティブを温存する結果となった。この時期に形成された「家を持つことが安心である」という心理は、長期的な期待形成の基盤となった。つまり、バブル崩壊後の制度改革は、表面的には価格抑制を目的としていたが、実際には将来の高価格均衡を準備する作用を持っていたのである。

2000年代以降のデータを見ても、同じ構造が確認できる。都市再生特措法の施行後、東京23区では地価と住宅価格の上昇が再開した。一方、家賃の上昇は緩やかであり、価格と家賃の差が広がった。これは、再開発によって地域の将来価値への期待が高まる一方、現実の生活コストである家賃が直ちに反映されないためである。特に、六本木、虎ノ門、渋谷といった再開発地域では、価格上昇率が周辺地域の2倍近くに達した。この地域間格差もまた、期待が市場を分化させるメカニズムの証拠である。

さらに、2020年代に入ると、期待の源泉は国内政策から国際環境へと移りつつある。
円安と超低金利が続く中で、海外投資家が日本の不動産を安全資産として購入する動きが広がった。外国資本の流入は、再開発地域を中心に価格を押し上げ、住宅を「国際資産」として位置づける新たな段階をもたらした。この結果、住宅市場は国内要因だけでなく、グローバルな金融構造の影響を受けるようになった。だが、こうした外部資本の流入も、最終的には「東京という都市への信頼」によって支えられている。外国人投資家にとっても、東京は法制度が安定し、治安が良く、長期的な価値が維持される都市として認識されている。すなわち、期待の主体は国内外を問わず、信頼を共有する経済主体の集合体へと拡大しているのである。

これらの実証的事実は、住宅市場を単なる需給の場として捉える従来の経済モデルの限界を明確に示す。住宅価格は、金利や家賃といった短期的要因に加えて、政策、制度、心理、国際資本といった長期的要因によって決まる。しかも、それらは互いに相補的である。金利が下がれば期待が上昇し、期待が上昇すれば再開発が進み、再開発が進めばさらに期待が強まる。この「自己強化的循環」が、住宅価格の構造的高止まりを維持している。価格は上昇するたびに社会的信頼を増し、信頼がさらなる上昇を導く。この現象は、単なるバブルではなく、制度的・心理的に支えられた長期均衡である。

本章で得られた知見を要約すれば次のとおりである。

第一に、住宅価格・家賃・金利の三者は、長期的に安定した均衡関係を維持している。

第二に、短期的な変動では価格が先行し、家賃が遅れて反応する。

第三に、金利よりも期待の影響が大きく、金融政策だけでは価格を制御できない。

第四に、この構造は1980年代以降の政策・制度の変化と一貫して連続している。

そして第五に、現代の住宅市場は、国内要因と国際要因が融合した「信頼に基づく期待均衡」として機能している。

次号では、この分析結果を踏まえ、19801990年代の政策転換と2000年代以降の再開発政策を、制度史的視点から再検討する。住宅市場がどのようにして「高価格均衡」を形成したのか、その制度的・政策的基盤を明らかにしていく。

清水 千弘
清水 千弘
一橋大学大学院ソーシャルデータサイエンス研究科教授。 一橋大学に2025年に設置された都市空間不動産解析研究センター長、およびブリティッシュコロンビア大学経済学部客員教授を務める。 東京工業大学大学院理工学研究科博士後期課程中退,東京大学大学院新領域創成科学研究科博士(環境学)。麗澤大学経済学部准教授・教授,日本大学教授,東京大学空間情報科学研究センター特任教授等を経て,現職。専門は、ビッグデータ解析,不動産経済学,指数理論,スポーツデータサイエンス。
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