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第六章 住宅アフォーダビリティ政策の限界と市場歪曲効果

 前回に引き続き、一橋大学大学院教授である清水千弘先生からご寄稿いただいた、東京における住宅価格の高価格化構造をテーマとしたコラムを連続で配信します。
 分割しての配信であり学術的側面も含みますが、非常に興味深い内容となっていますので是非最後までご覧ください。

 以下は全体の章立てとなります。
第一章:東京のマンション価格はバブルか?
第二章:ユーザーコスト理論・厚生一貫的指数理論・バブル必然理論の統合

第三章:東京の住宅市場の長期均衡と期待主導構造
第四章:制度的・歴史的分析:1980~1990年代政策と構造変容の連鎖
第五章:規制緩和と経済成長
第六章:住宅アフォーダビリティ政策の限界と市場歪曲考課
第七章:住総合考察と政策的含意:成熟社会の高価格均衡をどう扱うか

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第六章 住宅アフォーダビリティ政策の限界と市場歪曲効果

清水千弘
一橋大学大学院教授・都市空間不動産解析研究センター長

 

 近年、先進国を中心に住宅の「アフォーダビリティ(affordability)」が主要な政策課題として取り上げられている。住宅価格や家賃が所得水準に比べて過度に高騰し、住宅取得・居住の負担が増しているという現象は、特に大都市圏で深刻化している。東京においても、平均的な勤労者世帯の可処分所得に対する住宅価格倍率は10倍を超え、若年層や単身世帯が住宅市場から排除される傾向が強まっている。こうした状況を背景に、政府や自治体は「アフォーダブル住宅」政策、すなわち低価格・低家賃住宅の供給義務や公共による直接供給を検討し始めている。しかし、これらの政策は、短期的には社会的公正を掲げながらも、長期的には市場の効率性を損ない、住宅ストックを減少させ、結果的に住宅価格をさらに上昇させる逆効果をもたらす可能性が高い。

 住宅市場は他の財市場と異なり、供給が物理的制約に強く依存している。住宅は土地、労働、資本、規制という複合的な投入要素によって生産される耐久財であるため、政策によるわずかな制度変更が生産効率に長期的影響を及ぼす。とりわけ、住宅供給に関する公的介入が強まると、開発リスクと投資収益率が低下し、民間事業者の参入意欲が失われる。

 東京で現在議論されているアフォーダブル住宅政策の中核は、民間デベロッパーに対し、一定割合の低家賃住宅の併設(付置)を義務付けるものである。一見、社会的配慮を伴った政策のように見えるが、経済的には「供給税」に等しい。開発事業者が市場価格より低い家賃で住宅を提供する義務を負うということは、収益性を強制的に引き下げることであり、これは期待収益率の低下を通じて供給量を減らす。結果として、市場全体で供給される住宅戸数が減少し、残余市場で取引される住宅価格が上昇する。これは、理論的にも実証的にも「供給制約下の価格硬直性」の典型的現象である。

 実際、過去の歴史がこのメカニズムを明確に示している。1970年代の英国における地方自治体住宅供給政策、1980年代のニューヨークのレントコントロール制度、1990年代以降の香港の公営住宅供給プログラムはいずれも、当初は低所得層の住宅安定を目的として導入された。しかし結果的には、民間の新規供給が減少し、住宅市場全体の効率性が損なわれ、長期的に価格が高止まりした。住宅市場は部分的に介入しても全体で調整が働くため、義務的低価格住宅の導入は、他の地域や他の階層に価格上昇圧力を転嫁する。政策は局所的には成功しても、全体の住宅厚生を低下させる。

 こうした供給制約を強化する政策は、近年では「取引規制」という形でも現れている。例えば、転売禁止期間を設けたり、購入後一定期間は売却を制限したりする措置である。これらの取引規制は、一見「投機的取引の抑止」を目的として正当化されるが、実際には市場の流動性を著しく損なう。住宅市場においては、取引が活発であるほど、情報の透明性と価格の発見機能が高まる。取引を制限すれば、価格形成が非効率化し、需要と供給の適切なマッチングが妨げられる。加えて、転売が困難になれば、流動性リスクを嫌う投資家や事業者が市場から撤退し、開発・販売段階の資金調達コストが上昇する。結果として、新築供給が抑制され、住宅価格はむしろ上昇する。

 さらに、住宅所有者に対して「空き家税」を課すという議論も広がっている。表面的には、放置された空き家を市場に戻すことを目的とする政策であるが、これも長期的には逆効果となる。税負担を恐れた所有者が、利用価値の低い物件を急いで売却しようとすれば、一時的に供給が増えるが、その多くは老朽化した住宅であり、市場価値が低い。これにより市場価格が一時的に下落した後、投資インセンティブがさらに弱まり、長期的には修繕・建て替えの動機が失われる。結果として、住宅ストックの質が低下し、供給全体が縮小する。また、空き家税は地域間の税負担格差を拡大し、地方においては空き家を処分できない高齢所有者を追い詰める形にもなりかねない。空き家問題の本質は需要減少とストック老朽化の構造的問題であり、税による強制的処分ではなく、活用支援や流通促進によって解決すべきである。

 筆者の実証分析では、住宅価格の変動が金利や家賃といった短期的要因よりも、将来の「期待」によって強く規定されることが確認された。具体的には、住宅価格に対する期待弾力性は金利弾力性の1.6倍に達する。この結果が示すのは、住宅市場における人々の行動は、単に現在の所得や家賃水準に基づいて決定されるのではなく、「将来の住宅市場の見通し」によって支配されているということである。したがって、アフォーダビリティ政策が導入されると、「将来の住宅供給が抑制される」という予想が形成され、期待が上方にシフトする。この心理的メカニズムが、住宅価格の上昇をさらに強化する。

 政策当局が「住宅価格を下げたい」と意図して導入した介入策が、結果的に「住宅価格は下がらない」という社会的信念を補強してしまう。特に、東京のように都市再開発が進行し、住宅の期待価値が高い地域では、政策介入による期待効果が実際の供給効果を上回る。供給が制限されれば市場は将来の価格上昇を織り込み、住宅が資産としてより希少な存在になる。これが「アフォーダビリティ政策の逆機能」である。

 アフォーダブル住宅の供給義務、取引規制、空き家税――いずれも短期的には社会的公平を掲げつつ、長期的には市場の効率性と信頼を損なう。住宅市場の厚生は、制度的安定と期待の安定によって維持される。政府は市場の価格メカニズムを抑制するのではなく、信頼と予見可能性を提供することで市場を支えるべきである。歴史が繰り返し示してきたように、善意の介入が市場を歪め、長期的には供給を減らし、価格を押し上げる。住宅のアフォーダビリティを高める唯一の道は、政策による操作ではなく、制度と信頼の安定によって、供給の生産性と市場の流動性を高めることである。

清水 千弘
清水 千弘
一橋大学大学院ソーシャルデータサイエンス研究科教授。 一橋大学に2025年に設置された都市空間不動産解析研究センター長、およびブリティッシュコロンビア大学経済学部客員教授を務める。 東京工業大学大学院理工学研究科博士後期課程中退,東京大学大学院新領域創成科学研究科博士(環境学)。麗澤大学経済学部准教授・教授,日本大学教授,東京大学空間情報科学研究センター特任教授等を経て,現職。専門は、ビッグデータ解析,不動産経済学,指数理論,スポーツデータサイエンス。
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