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第七章 住総合考察と政策的含意:成熟社会の高価格均衡をどう扱うか

 前回に引き続き、一橋大学大学院教授である清水千弘先生からご寄稿いただいた、東京における住宅価格の高価格化構造をテーマとしたコラムを連続で配信します。
 分割しての配信であり学術的側面も含みますが、非常に興味深い内容となっていますので是非最後までご覧ください。

 以下は全体の章立てとなります。
第一章:東京のマンション価格はバブルか?
第二章:ユーザーコスト理論・厚生一貫的指数理論・バブル必然理論の統合

第三章:東京の住宅市場の長期均衡と期待主導構造
第四章:制度的・歴史的分析:1980~1990年代政策と構造変容の連鎖
第五章:規制緩和と経済成長
第六章:住宅アフォーダビリティ政策の限界と市場歪曲考課
第七章:住総合考察と政策的含意:成熟社会の高価格均衡をどう扱うか

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第六章 総合考察と政策的含意:成熟社会の高価格均衡をどう扱うか

清水千弘
一橋大学大学院教授・都市空間不動産解析研究センター長

 

 本稿の最終章では、これまでの理論的・実証的・制度的分析を踏まえ、日本の住宅市場における「構造的高価格化」を総合的に捉える。結論から述べれば、現代日本の住宅価格は、偶発的なバブルでも、一時的な過熱でもない。それは、低金利、人口動態、再開発政策、社会心理、国際資本という五つの力が、長期にわたって相互補完的に作用した結果として生じた「成熟社会の均衡状態」である。住宅価格はもはや単なる市場価格ではなく、制度と心理の交差点に存在する社会的な指標である。

 日本の住宅市場の変化を長期的視点から見たとき、その特徴は二つの安定軸によって規定されてきた。第一の軸は、金融構造における低金利の恒常化である。1980年代後半の金融自由化とプラザ合意以降、金利は下がり続け、2000年代にはゼロ近傍に固定された。金利が下がることは、資本の時間価値を縮小し、将来の収益(家賃や転売価値)を高く評価することを意味する。結果として、住宅の現在価値は上昇し、価格が上がる。これが経済学的な第一の基盤である。しかし、この低金利の恒常化は単なる経済政策の副作用ではない。それは社会全体の資金循環構造の帰結でもある。少子高齢化によって消費よりも貯蓄が優位になり、資金余剰が慢性化した社会では、投資先が限られる。その結果、資金が金融資産や不動産といったストック資産に流れることは構造的必然である。金利の低さは市場の歪みではなく、成熟経済の「自然状態」なのである。

 第二の軸は、制度・政策の連続性である。1980年代以降、日本の住宅・土地政策は、抑制と促進を交互に繰り返しながらも、最終的には住宅価格を高止まりさせる方向に作用してきた。1980年代の金融自由化と低金利政策が資産バブルを生み、1990年代のバブル崩壊と土地基本法が投機を抑制した。その後、2000年代の都市再生特措法と2010年代のアベノミクスが再び住宅を「成長のエンジン」として位置づけた。この四十年間の政策史を通じて、日本社会は「住宅価格の上昇を制御する」のではなく、「上昇と安定を共存させる」方向へ進んだ。つまり、政策的にも住宅はもはや物価ではなく、国家的資本ストックの一部として扱われるようになった。

 これら二つの軸―低金利の金融構造と制度的な政策連続性―を支えるのが、三つ目の要因、すなわち社会心理の自己強化メカニズムである。住宅価格が長期にわたって上昇し続ける経験を積んだ社会では、「住宅は下がらない」という信念が人々の行動を規定する。この信念は、金融機関の融資姿勢にも影響を与え、再開発事業への資金供給を促す。再開発は都市の魅力を高め、地価を押し上げる。地価の上昇は再び人々の信頼を強化し、資金を呼び込む。この循環は、「自己強化的均衡」と呼ばれる構造であり、心理が経済を駆動する。心理的安定が経済的安定を生み、経済的安定がさらに心理的安定を支える。このように、住宅価格の高止まりは、社会的信頼に根ざしたマクロ的均衡現象である。

 さらに第四の要素として、都市構造の変容が挙げられる。2000年代以降、都市再開発政策が住宅価格の上昇を制度的に支える枠組みを形成した。都市再生特措法、国家戦略特区、リート制度、民間都市開発推進法――これらはすべて、都市を「資本が循環する場所」として設計し直す政策である。再開発によって建物は更新され、インフラは高度化し、都市全体の魅力が高まる。人々の「住みたい」という欲求は、単なる居住ニーズを超えて、「都市に参加したい」という社会的欲求へと転化する。この欲求が資産価格に転化するとき、都市は「居住空間」から「投資空間」へと変わる。こうして、再開発は都市の生産性を高めると同時に、住宅市場の高価格均衡を強化する制度的装置となった。

 第五の要素として、国際資本の流入を無視することはできない。グローバルな低金利環境のもとで、資金はリスクの低い投資先を求めて世界を循環している。日本は政治的に安定し、治安が良く、法制度が整備された国として、外国資本にとって「安全資産の避難場所」となっている。とりわけ東京は、ニューヨークやロンドン、香港と並ぶ国際金融都市として位置づけられ、住宅は国内外の投資家にとって魅力的な資産クラスとなった。この構造は、単なる外資依存ではない。

 むしろ、国際資本の存在が、国内市場の流動性と期待を安定させる役割を果たしている。外国人投資家が東京の不動産を「長期的価値の保存先」として評価することは、国内の家計や企業に対しても「日本の住宅は安全である」という心理的裏付けを提供している。この点において、日本の住宅市場は、グローバル金融構造と社会心理の結節点にあるといえる。

 これら五つの要因を総合すると、住宅価格の構造的高価格化とは、経済・制度・心理が相互に支え合うマクロ的均衡システムとして理解できる。ここで重要なのは、住宅価格を単に「下げる」ことを目的とした政策は、必ずしも社会的厚生を高めないという点である。価格を強制的に下げることは、都市の再開発意欲を削ぎ、資本循環を停滞させ、金融システムの安定性を損なうリスクを伴う。むしろ、住宅価格の高止まりを前提としながら、その中でいかに社会的厚生を維持・向上させるかが政策課題となる。

 その第一の方針は、「期待の管理」である。住宅価格を直接操作するのではなく、人々の将来期待を安定させる。都市の将来像を明確に示し、再開発の計画を透明化することで、過度な投機や不安を抑える。住宅市場は期待で動くため、政策の役割は市場の「信頼のアンカー」を提供することにある。

 第二の方針は、「社会的包摂の強化」である。住宅価格の上昇は資産を持つ者と持たざる者の格差を拡大させる。したがって、高価格均衡を持続させるためには、所得階層ごとに異なる居住支援策が必要となる。たとえば、若年層への長期固定ローン支援、低所得者向け公的賃貸の再整備、中間層の住み替え支援などである。高価格を前提とした社会的支援の仕組みがなければ、住宅市場は厚生的に持続しない。

 第三の方針は、「税制と都市政策の再統合」である。これまで日本の税制は、土地や建物の保有・取引を抑制する方向で運用されてきた。しかし、成熟社会においては、取引の活性化こそが都市のダイナミズムを維持する。固定資産税や相続税の仕組みを見直し、資産移転を円滑にすることが、結果的に市場の安定につながる。

 第四の方針は、「マクロプルーデンシャル政策との連携」である。住宅市場の安定は金融システム全体の安定と不可分である。金利政策、融資基準、リスクウェイトなど、金融政策の設計が住宅価格に与える影響を事前に評価し、過剰な信用膨張を防ぐ。この観点から、住宅市場のデータをリアルタイムでモニタリングし、政策判断に反映させる体制の強化が必要である。

 第五の方針は、「国際的視野の確立」である。住宅市場はもはや国内政策だけでは完結しない。外国資本の動向、為替相場、グローバルな金利動向が、国内価格に直接影響を与える。したがって、住宅政策は国際マクロ経済の一部として位置づけられなければならない。他国との協調的情報交換、国際的な不動産統計の整備、資本移動に関するルール作りが求められる。

清水 千弘
清水 千弘
一橋大学大学院ソーシャルデータサイエンス研究科教授。 一橋大学に2025年に設置された都市空間不動産解析研究センター長、およびブリティッシュコロンビア大学経済学部客員教授を務める。 東京工業大学大学院理工学研究科博士後期課程中退,東京大学大学院新領域創成科学研究科博士(環境学)。麗澤大学経済学部准教授・教授,日本大学教授,東京大学空間情報科学研究センター特任教授等を経て,現職。専門は、ビッグデータ解析,不動産経済学,指数理論,スポーツデータサイエンス。
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